一生モノとして買った時計 ビッグ・レベルソ(名機cal.822)(前編)
お久しぶりです。はせじです。
また時間が空いてしまいました。久々にブログを書くとなるとワクワクします。
全く更新していない数か月の間も毎月pvが1000くらいあるのですが、一体どなたでしょうか・・・?感想でもいただけると嬉しいです。
今回は去年購入した時計ビッグ・レベルソ について書こうと思います。
時計趣味として最も楽しい時間のひとつが、何を買おうかあれこれ悩んでいる時だったりします。そんなホイホイ買える金額でもないですしね。
どういうシーンで使おうか、どんな作り手の時計にしようか、どんな形にしようか、どのくらいの予算で買おうか、などなど悩みはつきません。
結局時計を買うための言い訳を並べ立てているだけのようにも見えますが、一定の切り口・制約の中で納得いく時計を見いだせるかのプロセスが楽しいのです。その過程で自然と知識がついてきて、足を運んでいるうちに思いがけぬ縁があってその時計に出会ったり。
私はその時計にたどり着くのに1年ほどかかりました。到底数百文字で語れるものではないのですが、つらつらと振り返りながら前編後編と分けて綴ってみようと思います。
<自分が時計趣味で大切にしていること>
当たり前ですが時計には様々な種類があって、それだけ時計に対する接し方も千差万別です。そんな中で、私は次の記事に書いてあることをとても大切にしています。
「好き嫌い」は、ほぼ、その人の感性による。あくまで個人に立脚するので一般化・普遍化できない。強いて言えば「綺麗なもの」「カッコいいもの」が好き、ここまでは言えるかもしれないが、どんなものを綺麗と感じるか、カッコいいと感じるかは、一般論として論じることができない。感性は感情と置き換えることも出来るかもしれない。きわめてファジーなのである。
一方で、「良し悪し」は、それを判断する為に”知識”と”経験”が必要である。言い換えると知識と経験に基づく「知性」である。特に”知識”は、一般化・普遍化・明文化できる。あまりファジーではない。”経験”も、好き嫌いという”感性・感情”ほどファジーではないだろう。
以上を単純化すれば、「好き嫌い」は”感性”、「良し悪し」は”知性”による。
自分なりの解釈を一言でいうと、何か時計を見た時に次のように言える状態になっているのが理想的。
「この時計は良い時計ではないかもしれないけど、私は大好き。好きだからしょうがない」
このギャップが、ふわっと使われる「ロマン」という言葉の正体なんじゃないかなーと思ったりしている。
例えば、とある時計仲間で機械式時計に実用性を求める人がいる。
実用性の基準として、精度は勿論のこと、帯磁性や視認性などいくつかあるが、これらを突き詰めると機械式時計ではなくクオーツやデジタル時計になる。アップルウォッチなんて最良。つまり、機械式時計は実用的に「良い」時計とは言えない部分が多い。でも、懲りずに実用性のある機械式時計を「好き」だから買い続けている。言語化できない機械式時計のロマンがあるんですよね。
<一生モノの時計が欲しい>
さて、一生モノの時計を探すにあたって、一生モノを定義しておくと、「適切なメンテナンスをする事で一生使い続けられる時計」という以上に「世代を超えて受け継ぐことのできる時計」を呼んでいます。
今回は結婚式のメモリアルウォッチということもあって、いつか子供に譲ることも視野に入れてます。そして、欲を言えば自分を体現してくれるような名刺のような時計が欲しいと思ったり。
ということで、今回のコンセプトに沿う必要な要素は・・・と小難しく考えるのもなんだか面白くないので、とりあえずめちゃめちゃ足を使って都内の時計屋さんを巡りまくりました。そして直感的に好きだったシリーズが下記3つ
・ショパール L.U.Cコレクション(リンクはKIHさん渾身の工場訪問記なので時計工房がどんなものか、ショパールに興味のある方は時間あるときに是非ご一読を)
・ブランパン ヴィルレ
・ジャガールクルト レベルソ(リンクはおなじみ時計雑誌クロノスの圧倒的情報量レベルソ連載記事)
(ちなみにランゲとグロスマンは予算オーバー。笑)
<さて、選べない>
どれも直感的に好きで何度も見に行ったけど、どれも好きなことは変わらなかった。
でもひとつしか買えない。困った。
そんな2017年の秋。こんな記事を見たのを覚えている。
"惜しまれつつ生産中止になった「ビッグ・レベルソ」の後継機。名機Cal.822を小ぶりなステンレス製のケースに搭載する。"
ここから、私はムーブメントにより着目するようになりました。
ビッグレベルソにたどり着くまでもう少々あるので続きは後編で。
はせじ